本の紹介です!
2018-03-08
信州伊那の山の中に広い伊那谷を一望できる丘があります。その名も眺岳台。ここに我が漢方の師匠伊藤真愚先生が庵を結び、晴耕雨読の余生を送りながら、その道を目指す若者たちを門人に迎えて、日々東洋医学、もっと大袈裟に言うとすれば東洋の哲理を講じておられました。
昭和天皇がご崩御された年、今から30年以上も昔のお話です。鍼灸専門学校を卒業して、私はこの伊那谷の眺岳台へ参りました。
世の中はバブルに浮かれているというのに、そんな喧騒には回れ右をして、およそ生産的な経済の旨味からはかけ離れた、こんな山の奥に一体何があるというのか。こんなところに血気盛んな若者があえて入門して行くというのはどういう事なのか、いまだに解けない疑問です。ただその時はそうせずにはいられない衝動のようなものに突き動かされていました。
伊那谷の冬はとても寒く、夜は氷点下5度くらいまで冷え込みます。禅宗の修行道場で行われる庭詰、旦過詰という入門の作法にのっとり、まさしく、「頼みましょう」「どうれ〜」の型通りに絞られました。
私の場合、内弟子とはいえ家庭も持っていましたので、半年ほどの逗留の後は通いの修行が許されました。
伊藤真愚先生は既に鬼籍の人ですが、その教えは、単に鍼灸、湯液、あんま導引の枠を超え、禅宗の精神性とも通じ、世界平和にも通ずるかと思えば、その行動は無謀な理想を最後まで追い続けた夢追い人でもありました。
漢方思之塾 (是を思い、是を思い、思い思いて、又是を思う)
さあ、この是とは、なんぞや。君自身の命を賭けた是を看てこい。
そう励まされて、眺岳台の漢方思之塾から送り出されてはや30年。私の是はいまだに解りません。もう今年は先生が鬼籍の人になられた歳を迎えるというのに、自らの未熟さに恥じいるばかりです。
嗚呼、何故か無性に、懐かしく、偲ばれてなりません。
我が師匠、伊藤真愚先生に合掌
※効果には個人差があります。